南伊豆町読みもの

みなみの桜と菜の花まつり

南伊豆町

伊豆半島の2月は道が混んでいる。それは毎年のことだ。

渋滞の原因は河津桜である。河津桜は2月上旬頃に満開を迎える早咲きの桜。

私の住んでいる中伊豆地域を南北へ縦断する道路は、2月の上旬から3月にかけて大渋滞が起こる。

その大渋滞の発生はほぼ確定申告の時期と重なっており、私にとっての河津桜は大渋滞を巻き起こし、確定申告の時期の訪れを告げる何とも気の滅入る存在であった。

そのため、花好きの心のきれいな青年とお付き合いでもしない限り、満開の河津桜になど近づく機会はなかった。むろん、日本の一番寒い時期である2月に、体を張っていち早く春の訪れを知らせる健気な河津桜を「気の滅入る存在」などとのたまう心のすさんだ私に心のきれいな青年とお付き合いする機会など訪れるはずもなく、伊豆に住んでいながら河津桜の咲いている所を見たことがなかった。

東京に住んでいると東京タワーにわざわざ行かない、のと同じにしていいのかは分からないが、伊豆に住んでいて、朝、夕とうんざりするような渋滞を目の当たりにしているとわざわざ河津桜を見に行かなくてもいいような気がしてくるのである。あと1ヶ月すればそこらへんで桜は咲くのだから。

しかし、今年はコロナの影響もあり、渋滞もほとんど発生していなかった。渋滞が発生しないために、今日まで確定申告のことを忘れていたくらいだ。

昨日の夜、天気予報が明日も温かい一日となるでしょう、と言っていたので、河津桜でも見に行ってみようか、という気になった。なぜ、突然そんな花を愛でる気持ちになったのかは自分でもよく分からない。でもおそらくは年齢のせいだろうと思う。昨年の1年、おかしかったのだ。テレワークが増え、自宅の作業場から見える嵐山を毎日眺めては、四季の移ろいにやけに感動したものだ。新緑に感動したり、紅葉に感動したり。

熱心に花壇で四季折々の花を育てているおばさんであったり、そこでしか見られない野花を見るために登山クラブに属しているおばさんであったり、花万博へこぞって連れ立つおばさんであったり、そういうおばさんたちに首をひねっていたが、おそらく私もそろそろそういったおばさんの領域に足を踏み込みつつあるのだろう。

ということで、子供を引き連れ、南伊豆まで行くことにした。

南伊豆では、「みなみの桜と菜の花まつり」というイベントが行われていた。もちろんイベントなどはほとんど中止になっていたため、それは形骸的なイベントであるわけだが、おそらく河津桜は見られるはずだ。

河津桜と菜の花

イベント会場、というものはおそらくは存在しておらず、たまたま通りがかりに駐車場があったため、そこに止めた。にこやかなおじさんとおばさんのペアが近づいてきて、検温をし、アルコールスプレーを手に吹きかけた。我々の除菌が終わると、「対策済み」のような桜のシールを貼ってくれた。

桜は散っていたり、葉桜になっているものもあったが、満開のものもあり、1本、1本を品定めして歩いた。子供は遠くの方で喧嘩したり、いきなり近づいてきて、「おしっこ」だの「ジュース」だの「あれ見て、これ見て」だのと頼みごとをしたり、川に入って靴をびしょ濡れにしたり忙しそうにしていた。

堤防をのんびり散歩していると人格が1ランク上がったような気分になる。日々の忙しさやすさんだ心が嘘のように浄化されるようだった。

花を愛でるだけでこんなに豊かな気持ちになったことはあるだろうか。いや、私の人生では一度もなかったに違いない。他の人たちは花を見るとこんな豊かな気持ちになっていたのか。

私はこの時、気が付いたのだ。日本には花を愛でて心を豊かにする高尚な人々が伊豆半島に深刻な渋滞を巻き起こすほど存在することに。あの渋滞の人々は渋滞を我慢してまで心を洗いに行っていたのだ。

私は傍らに雑念だらけの子供たちを引き連れながら、川沿いを散歩し、心の洗濯を行った。

子供たちは、「公園行きたい!通ってきた道にあったでしょ?」「海あるって言ったじゃん、うそつき!」などとクーデターを起こし始めていた。

すっかり心の洗われた私は大らかな気持ちで、「そうだね、君たちに花はまだ早いね。公園行ってから、海に連れて行ってあげましょうね」とほほ笑んだ。

― 公園、海、温泉編へつづく

編集長

IZU LIFE JOURNALの編集長。伊豆市在住のフリーランス。日々、伊豆の温泉を巡って、温浴施設の休憩スペースで仕事ができないか実験中。2児の母。中小企業診断士。

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