伊豆市読みもの

TSUGUMI

伊豆市

「TSUGIMI」はよしもとばななが西伊豆(土肥温泉)での滞在の経験をもとに書いた海辺を舞台にした小説である。

 海辺の旅館「山本屋」で暮らすいとこ同士のまりあとつぐみ。

 まりあは山本屋で母と二人で暮らしており、父は東京で別の家庭を持っていた。つまり、まりあの母は、妾、側室的な存在であった。

 物語の早々にまりあの母はめでたく父と一緒に暮らすことになり、まりあも海辺の土地を離れることになる。

 まりあが山本屋を離れる前、つぐみと一緒に海を眺めながら海辺のくらしについて想いを馳せる。

海とは不思議なもので、2人で海に向かっていると黙っていても、しゃべっても、なぜかどっちでもかまわなくなってしまう。見あきることは決してない。波音も、海の表面も、たとえどんなに荒れていても決してうるさくは感じない。

私は自分が海のない場所に越してゆくことが、どうしても信じられなかった。あんまりピンとこなくて、不安になるくらい不思議だった。いい時も、悪い時も、暑くて混んでいても、真冬の星空の時も、新年を迎えて神社へ向かう時も、横を見ると海はいつも同じようにそこにあり、私が小さかろうが、大きくなろうが、となりのおばあちゃんが死のうが、医者の家に赤ん坊が生まれようが、初デートだろうが、失恋しようが、とにかくいつもしんと広く町をふちどり、きちんと満ちたり引いたりしていた。うんと視界のよい日には湾の向こう岸がはっきり見えた。そして海は、見ているものがことさらに感情を移入しなくても、きちんと何かを教えてくれるように思えた。そんなふうなので今までは、その存在や、絶えず打ち寄せる波音の響きをあらためて思うことはなかったけれど、都会では人はいったい何に向かって「平衡」をおもうのだろう。やはり、お月様だろうか。しかし月は海に比べたらあんまりにも遠く小さくて、何だか心細く思えた。

「つぐみ、私、自分が今さら海のないところで暮らせるなんて信じられない」

TSUGUMI,吉本ばなな

富士山と笠雲

 誰にでもいい時も、悪い時も、夏でも、冬でも、朝でも、夜でも、コロナが流行ろうが、緊急事態宣言下だろうが、そこに常にある景色というものがあるのだと思う。

 それは海のように雄大な自然である場合もあるし、象徴的な建築物である場合もあると思う。

 私にとって、そのいつでも変わらずにある存在は、「富士山」であったように思う。まさに、いい時も、悪い時も、夏でも、冬でも、朝でも、夜でも、小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も、伊豆を離れる年になるまでいつでも私の風景には富士山があった。

 そして、伊豆で再び暮らすようになってからも再び富士山は私のくらしのそばにあった。子供が生まれてからは子供のくらしの中にも富士山はぴったりと寄り添っているようだった。

 7歳の娘は小学校まで30分歩かなければならず、さらに異常な暑がりであるため、毎日の天気や温度を入念に調べるのが日課であった。毎朝、Siriに向かって、

「Hey,Siri,今日雨降る?今日暑い?」

とその日の気象を調べるのだ。彼女が興味あるのはあくまで「当日」の天気であり、翌日以降の天気を心配することはほとんどない。

「ねえ、ママ。明日はきっと雨だよ」

あるとき彼女は、私にそう教えた。

「そうなの?Siriがそう言ってた?」

「ちがう。富士山に“カサグモ”がかぶってるでしょ?だから明日は雨なの」

 富士山の頂上に笠雲と呼ばれる帽子のような雲が現れると雨が降る、というのは天気に無頓着な私でも知っている話である。

「何で知ってるの?そんなこと」

「ばあばが教えてくれたの。Siriがいないときでもわかるから便利でしょ」

週末、義母の家に娘を送っていくときに、伊豆中央道という道を通る。

伊豆中央道からは富士山がきれいに見える。私たちは週末ごとに夕焼けに染まる富士山を横目で見ながら義母の家までドライブをした。それこそ、雨の日も、風の強い日も、富士山に初雪が積もった日も、笠雲をかぶっている日も。

都会の富士山

「都会では人はいったい何に向かって「平衡」をおもうのだろう。」

とまりあは言う。

私は伊豆で生まれ育ったため、少なからず田舎コンプレックスを抱えている。そのため、年頃になると東京や海外の都市に積極的に出ていった。

そして、極度の人見知り故、見知らぬ都会へ行く度、何度も巨大でシンプルな孤独に押しつぶされそうになった。華やかできらびやかな都会でひとりぼっちを再確認するほど自分をちっぽけな存在に見せるものはない。

そういうときに必ず私を救ったのは建築物だった。例えば東京で私の孤独を癒したのは、「東京タワー」であったし、ニューヨークでの病的なまでの孤独を癒したのは「自由の女神」や「ブルックリンブリッジ」であった。

何かその街の象徴的な建築物をこの眼でみると自分を誇らしく思うのだった。

決してうまくはやれていないが、それを眺める今この瞬間、私は都会に暮らす人だった。

伊豆で見る「富士山」とは対照的だが、都会の建築物はそれはそれで私の「平衡」を保ち、見守ってくれた。

平衡を保つ景色

そういうことで、「TSUGUMI」の一文を読み、私は世界中のいろいろな場所で暮らす人に想いを馳せた。

例えば、鳥取砂丘に暮らす人々にとって鳥取砂丘は常にそこにあり、彼らの暮らしに寄り添っている。彼らが恋愛し、失恋し、心弾ませたり、心痛めたりしているときも雄大な砂丘は常にそこにあり、何かを教えようとしてくれる。

琵琶湖だってそうだろう。琵琶湖周辺にちりばめられた出会いや別れをやさしく堂々した水量で見守っているのだ。

北海道の大きな湿原だって、京都の寺院だって、大阪の太陽の塔だって何だってそうだろう。

私たちは太陽や月よりももう少し身近で、寛容で、恒久的なものに自身の平衡を委ねるのだ。

そういう存在を求めて住処を探し続ける人もいるのだと思う。

「海の近く」や「富士山が見える場所」、「駅から徒歩15分圏内」など、住まいを探すのにいろいろな選び方があっていい。

世界は想像を絶するほど広く、私たちが人生で触れられる場所はとても小さい。

かけがえのない人生をやさしく見守ってくれる景色がある場所で暮らしたい、というのは至極真っ当な選び方であると思う。

そんなかけがえのない大切な人生の場所に「伊豆」を選んでくれる人がいるならば、私は全力で彼らの選択を祝福したいと思う。 人生の場所選びのほんのちょっとした参考になるようなそんな「IZU LIFE JOURNAL」になるといいな、と思っている。

編集長

IZU LIFE JOURNALの編集長。伊豆市在住のフリーランス。日々、伊豆の温泉を巡って、温浴施設の休憩スペースで仕事ができないか実験中。2児の母。中小企業診断士。

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